放射線主任者に聞く! (茨城大学理工学研究科 伊賀文俊先生)
茨城大学水戸キャンパスには、第1種放射線取扱主任者の資格をもつ教員が複数在籍しております。今回は量子線科学専攻 先端物理Programの伊賀文俊先生に放射線取扱主任者試験にまつわるお話を聞きました。

放射線主任者試験を受験したきっかけは何ですか?
実質業務命令だったと思っています。そうは言いませんでしたが。1989年4月に電子技術総合研究所(現在の国立研究開発法人産業技術総合研究所)に採用されました。当時、博士号を取得した人材の採用があり、初の試みだったのか10名以上が採用されました。そこで、電子基礎部の磁性研究の西原先生の研究室に配属されました。当時は酸化物高温超伝導フィーバー真っ最中で、酸化物の試料作りをして、物性評価をするというスタイルの物性研究をする人材がほしくて採用されたのではないかと思います。
配属された研究室の西原先生とは分野がちょっと違っていたこともあり、これまで学会でも面識がなかったのですが、新しいことをやってみたくて電総研に入所を決めました。西原先生は室長になったばかりだったので、管理職ということもあり、これまでの研究を引き継ぐよう求められました。それが最初に業務命令と言った意味ですが、その一つとしてメスバウアー効果測定装置(放射性元素の原子核がガンマ線を放射し、もう一方の同じ原子核がそのガンマ線を共鳴吸収する現象を利用)がありました。放射性同位元素と、非放射性化合物の間のガンマ線共鳴を用いることで、化合物の磁性状態や価数状態の温度変化や磁場変化を調べます。またメスバウアー装置は放射線発生装置なので、装置周辺は管理区域になっていました。これを引き継ぐということから、実験および装置の管理もしなくてはならなくなりました。
そのため、放射線主任者試験を受験するように西原室長より勧められました。個人の資格にもなるので、将来役に立つかもしれないというアドバイスもありました。国家公務員としての初任者研修も終わり、早速渡された「放射性概論」を読み始めて試験を受けましたが、研究も同時に始めたところであり、なかなか勉強ははかどらず、その年はあえなく落ちてしまいました。一番苦手なのが法令で、暗記が苦手でした。「なぜこんな数値が出てくるのか?」などと、数値の根拠が納得できなかったりで、いろいろ悩まされました。
翌年はさらにその年の新人2人が加わり3人で放射線主任者試験を受験することになりました。私自身、つくばでの生活にも慣れ、集中して勉強できるようになりました。3人で東京で1週間ほど合宿したり、アイソトープ協会主催の講習を受けたりして、勉強に励みました。「誰か一人でも受かろう」と、直前の2か月程は研究も中断して勉強に励み、放射線主任者試験を受験しました。そして、その年は私一人だけ無事に合格することができました。合格したら所内のたくさんの方からお褒めの言葉をいただきました。研究に必要な資格だと思っていたから、こんなにたくさんの方に褒めていただけるのは正直意外でした。

放射線主任者としてどのような業務に携わりましたか?
密封線源コバルト60を使ったメスバウアー装置の実験と管理です。毎月管理区域の汚染状況の有無を測って帳簿に図付きで書き込み、室長と放射線取扱主任者に報告しました。このようにして普段の放射線管理は覚えました。電総研自体には正式に放射線取扱主任者の方が任命されていましたが、各管理区域にはそれなりの放射線管理に関する知識を求められていたわけで、私が資格を取ったのもそういう経緯からです。メスバウアー装置を使って超伝導体とは異なるテーマの酸化物の価数や磁性、金属非金属転移に関する物性の実験も行いつつ、毎月の装置のメンテナンスや放射線管理作業にも定常的に携わりました。当時電総研には小型の加速器や核融合実験のグループもあり、そこの方たちとも仲良くなりました。広島大時代は量子ビームのユーザーではありましたが、管理はありませんでした。茨城大では、理学部物理学科や大学院で、放射線計測の学生実験(主としてガンマ線計測)を長年続けてきており、私が赴任した直後から、主にこの学生実験用の放射線源(密封のみ)の使用帳簿の最終管理責任者でした。しかし、大体は実際の実験担当者が線源の購入や使用ノートの整理をしてくれており、私は時々それをチェックするだけで済みました。また研究用に密封線源を保持している教員もいましたのでその使用簿の管理も職務でした。古い線源もあって、使用に耐えないほど弱くなっていましたのでその廃棄を、担当教員と一緒に最近行ったところです。また最近、物理教員の方で放射線取扱主任者試験に合格された方がいます。物理系の放射線学生実験はこの新しい後任の主任者の管理の下で今後も続くことでしょう。
印象に残っている事は?
メスバウアー装置には電総研入所時に初めて触れましたが、新たな研究が始められて面白かったですし、放射光、中性子、ミュオン、今でいう量子ビーム関係の実験や研究に関心がもてて、一つの「業務命令」がきっかけで研究の幅が広がりました。従来の研究手段である電気抵抗や比熱を測定する一方で、こういう研究手段があるんだなぁと感心しつつ、更に放射線を使うときの注意点など、だいぶ研究実施における知見が得られました。今でいう量子ビームの研究の走りをやらせてもらいました。その後、30代で広島大に移りました。そこで大学の学生時代にしていた研究を再開しました。その際電総研で培った酸化物の単結晶育成技術を利用し、ホウ化物と酸化物の純良単結晶を作り出すことに力を注ぎました。この物質系の2本立てで、SPring8、KEK-PF、 広大Hi-SORなどの放射光施設や、東海村3号炉での中性子を利用した実験など、さらにフランスグルノーブルでもILL(ラウエランジュバン研究所)での中性子実験、ESRFでの放射光X線回折実験と、海外での研究も経験させていただき、16年たちました。その後2011年4月に茨城大学に移りました。震災があった年で、4月に移ったら難民状態で電気もこないし水もこない、宿舎に寝袋をもちこんで茨城大学での新しい研究生活をスタートさせました。電総研時代の放射線管理業務の経験は、茨城大では物理領域の放射線管理の仕事やJ-PARCでの実験におおいに役に立ちました。
放射線主任者試験を受験する皆様へ
勉強する過程でたくさんの知識が身に付くし、現在の物性研究は総合的な知識が要求されるので世界も広がりました。その時は何の役にたつかわからなくてもいずれ必ず役に立つし、自分自身の成長にも繋がります。機会があれば勉強することをお勧めします。(たとえ資格をとれなくても勉強することで得られるものがきっとあります!)
